movie男?’s blog

映画、ドラマについて語ります。とは言いつつも、フリーなブログ。

臓器提供と6歳未満の男児

今回、哲学企画第1弾

なぜ、臓器提供の話?

簡単です。今しかないからです。
どんな記憶も俺の経験上、必ず風化するはずです。
だから、みんなに知ってほしい。
少しでも頭の片隅にあってほしいから、これにしました!

まずは、臓器提供の話

小難しい話は各自調べてほしい。今回の論点はここじゃない。
大まかに言うと、法律の改正に伴い15際未満の臓器提供も可能となったらしい。

話したいのはここ。

まず、1つめ。
よく上がるのが
「死の基準」。何をもって死とするか。臓器提供の基準は、脳死と心停止。

「死の基準」
この問題点は、答えのない問題で。しかも、答えは無数にある。
人の死は、必ず近しい人の動きを止めちゃうからね。
だからこそ、この基準は必要かもしれない。

ある区切りをつける。そうすれば判断しやすくなるから。
その通り。ですよね?
臓器を提供するため、ここを区切りとする。
だけど、この区切りが「死」だとすると。簡単には割り切れないね。

法として機動的にするためには、正しい。というか、この法律が間違いと言いたいのではなくて。
なんだか表現に困りますが、家族の時を無理に動かすという感じがします。

繰り返すけど、この法律は良くできてるよ!人を救う法律だから。ただ、酷な法律でもあるね。

2つめ
家族の気持ち
これがメインだ!
まず、俺は親に言われたことがある。臓器提供はしないでと。
イメージが先行してのことだから、仕方ない。綺麗な体で棺桶に入ってほしいと言いたかったわけ。

そう。家族が辛いね。いや、これは当人ではないから、こんな感情になるだけか。

本人の意志が不明な場合、家族が代わりに許可をだせるとか。
これは、人生で下す大きな決断の1つだね。

ホントに思うのは、正しいことをした!ということ。
どんな決断をしても正しいはず。
誰も責めないだろうけど、心に何か曇りがあるのなら。

自分の人生を決めるのは自分。
家族の死後の一切は家族が決める。正しい。
はずなのに、自責の念が募る家族の人もいるらしい。

つくづく思うが、人は必ず人に頼る。生死は関係なく。

タイトルになった男の子

タイトルの通り。提供したんだって。6歳未満。年齢曖昧だけど。。。
まぁ、臓器提供が分かる年じゃないよね。
もちろん、御家族が代わりに承諾したそう。
しかも、前向きなコメントも出てた!

俺としては、移植された人が長生きしてくれればいいなぁと願ってる。
まぁ、御家族もそうだろうね。

どこの誰だかわからんけど、ただただヒーローだな。

人を救うのは何か。

人が人を救うのか。機械が人を救うのか。よくわからん。
たくさんの事例があるからね。

ただ、俺が家族の立場、本人の立場ならば人に救われたいし人を救いたいかなぁ。

物質的な意味ではなく。人の気持ちって意味ね。
もちろん、そんなんで救えるなら、、、
だけど、その気持ちが俺の中では大きな割合を占めるね。

反省

考えをまとめて、構成もまとめるべきだった。
次に活かします。

では、次回。